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Treasure series 2022

ある瞬間、人生の不可逆性を想うと、少しだけ恐ろしさをおぼえます。

 

この世に生まれ、生き、そして死をむかえるまで、だれもが等しく刻を過ごし、決して巻き戻されることがない。何をいまさら当たり前のことを、と笑われそうですが、この“当たり前”といったたぐいには、特別に注意が必要です。手にしているようでいて、その実、すり抜け続けていたり、分かっているようでいて、分かっていないことを知らないだけであったり…。

 

何をどれだけ持っているのかや、何をどれほどやったのか、ではなく、いつもどれほど向き合ったのか、を人生の真ん中に据えておかないと、“いつもの必要なこと”にばかり、心が占められそうになるものです。そして、自分の人生がこの“不可逆的な流れ”と共にあることを忘れ、それでも刻は流れ続け、ときに翻弄されることもあるでしょう。

 

だからいつもこうします。この生活や人生の流れのなかにあって、微かな音ずれだとしても、ピンッとくる瞬間があれば、その実感と事実をジーッと見つめます。やがて、見つめる先から、大切な何かの予感、重要な何かの気配、とでも言うような意義の香りが、徐々に立ち昇りだしたなら、スーッと心深く吸い込んで、その裾を意識の中でソッとたぐり寄せ、ギュと抱きしめるのです。

 

こんな風に自分なりの向き合うプロセスを経ると、ふとこんなことを想います。必要なことの、その奥に隠れている“重要なこと”、それは波間を揺れる舟を留める“舫綱(もやいづな)”のようで、まるで手のひらで揺れる木洩れ日のように、それは掴みにくいということ。ゆえに、いよいよ描く必要があるわけで、多少不格好でも、そんな自分の向き合いが得た、他でもない自分自身の手応えを、留めおこうと描き始めたのが、このシリーズ作品『Treasure(トレジャー)』となります。

 

はじめに、得たインスピレーションをスケッチしたなら、しばし心にふくみ留めます。頃合いを見て、再びそこから取り出すようにスケッチしては、またふくむ。これを繰り返す過程で、色彩を含めたその時の感動が、どんな衝動になるべく自分に手渡されたのかということに、次第に“正直”になっていけます。

 

次に、そうしてたどり着いた下絵に対して、同様に得た色彩の境地を重ね、色の結晶を集めるように、折り紙をひたすらカット。それらを貼り続け、貼り絵を作ります。最後にアクリル絵具によって、その場その時に感じたアウラの声を、色と形を縁取る線として隅々まで入れると、さて、なんと言えばよいのか…そう、絶対に忘れなくなるのです。

 

どこまでもいっても感覚的なプロセスなので、うまく言葉にし難いのですが、ひとつだけはっきりと言えることがあります。それは、私たちはみな、この世に手ぶらで生まれ来て、手ぶらで帰る、ということ。この不可逆的な流れにあって川底をなすような、そんなまぎれもないことに気がつくと、現代という時代の中で、たとえ終始感覚的だとしても、自分の実感をもってたぐり寄せた、ささやかでも、かけがえのない出来事の数々は、人生が不可逆的だからこそ、いよいよ『宝物』と呼びたくなるのかもしれません。

 

すべての作品のご鑑賞は[こちら]から。