· 

Nuance series 2019

Nuance series(ニュアンス シリーズ)2019

技法:水性顔料ペンによる彩色 / 用紙:ヴァンヌーヴォー / サイズ:420×594㎜

 

ひとつの作品ができるまで、どのくらいの時間がかかるのか、ちゃんと調べたことはないのですが、少なくてもこのNuanceシリーズでは、制作している時間(つまりペンで塗り続けている時間)は、振り返っても思い出せないほど、時間をかけているようです。水性顔料ペン(いわゆる通常のペンサイズの筆記具)を片手に、来る日も来る日も塗り続けるのですが、そんな毎日を送っているあいだにも、次なる画題に出会うことなどは多々あるものですから、インスピレーションを手放さないようにするべく、一旦サムネイルサイズ(ミニサイズ)に描くようにしています。ひとつの作品が仕上がるまでの間に、次第にサムネイルが溜まっていくのですが、そこで密かな楽しみがあります。朝起きぬけに、眠い目を擦りながら、朝食の支度ができるまでのテーブルに、それらをずらりと並べてみたりすると、小さな展覧会のようで、心がウキウキと楽しい気持ちになるのです。早く全部のサムネイルを、大きいサイズに本塗りで仕上げたい!と妄想するのですが、現実はそう簡単にはいきません。この作品の制作を通じて、ペンを使った色の塗り方(つまり“タッチ”)を、いくつかあみだしました。ペン運びとその重ね合わせの仕方によって、仕上がりの見え方がかなり違ってきて、ちょうど絵の具によるマチエールに相当することが、ペン塗りでもやり方次第で生まれるのは、苦労があっても楽しいものです。しかし一回の塗りで、まるでたくさん塗ったように見える(ズルいけど楽な)塗り方は、残念ながら発見できずにおります。さあ、ではどのくらい塗り重ねるのか。それは作品によってもかなり差があるのですが、数週間かけて、ペンのインクが数本ほど空になったあたりで、一度かならずこう思う時があります、「随分と塗れたなぁ…」と。そうして自分で自分に労をねぎらいながら、半日ほど見つめていると、残念ながらこんなことに気がつくのです、「ああっ…まだ、半分も来ていないかも…」と。わかっていても、いつもこの繰り返しです。そして、見果てぬゴールを目指し、再び修行の日々が続くのです。長時間ペンを振り続けるものですから、指などの関節に負担をかけてしまい、以前は半年ほど痛みが抜けないこともありました。そんなわけですから、ペンの握り方、腕の使い方、肩と肘の支点の置き方など、長時間の作業に耐えるための様々なノウハウを自然とあみだしてきており、そんな体全体の運用の仕方も含めてペンの“タッチ”となっていきました。さて、そんな伝わりにくい芸を、誰に見せるわけでもないのに磨きながら、いつものように、毎日ひたすらペンで塗り込んでいくと、ある日ようやく目の前の塗り重ねた色に、異変を感じ始めます。なんと言いますか、彩度が急に動き始めたような、透明感のような奥行き感のような、うまく解説できない状態が画面から立ち現れてくる感じです。僕はそのことをよく妻に「やっと、色が覚醒しはじめたよ…」と、ちょっとだけ格好つけたような言い方で話すのですが、その実、覚醒という言葉が、なにせぴったりな印象のです。色が持っている単なる発色だけではない、青色の中の黄色的な何かだったり、どこまでも行っても不透明になれない透明の性(さが)のようなものであったり、ペン、紙、色、インク、動き、意思、葛藤など目に見えることから見えないことまで、様々な表現因子があって、それらすべてが純粋な姿で、必然たる時に交わり支え合い、表現に向かって噛み合い始めたような感覚をうけるのです。ようやくここまできました。そうなると今度は、いよいよ“やめどき”で悩む日々の始まりです。ゴールを知っているのは自分の感覚だけです。今がその時なのか、あと少しだけ先なのか。妻には完成したよ!と言いながら塗っている姿をいつも笑われるわけですが、ふっとした時、これ以上進んでしまうと、絵を汚してしまうというその手前に、今、自分がいることを感じることがあります。そうなって、ようやく作品は完成となります。制作において、始めることと終えること、続けることと止めること、そんな両極の間(あわひ)では、絶え間ない決断の連続が、色を塗り重ね続けさせます。そうしてを差異を繋ごうとする意思が、色のニュアンスを生み出していくのだろうと思います。最後に、以前、Nuance series 2018の紹介で書かせていただた文中の一節を、あらためてご紹介したいと思います。

………僕たちのこの世界が、広義の意味合いにおいて、“違い”でできているとするなら、この“違い”どうしが、調和や均衡へ向かおうと、手を取り合い、抱きしめ合い、互いの差を埋めようと、つまり“繋がろう”とするとき、そこに生じる“事象の戸惑い”にこそ、私たちが“美しい”と感じることの本質と、そう感じることができる“チャンス”も、同時に潜んでいるように思えるのです。このNuance(ニュアンス)という作品は、そんな美しさにまつわる、自分なりの体験を、厚紙に水性顔料ペンで描き込んだ、ペン画作品のシリーズです。具象と抽象の違いを意識し過ぎないよう、インスピレーションを心に留めたなら、ペンでひたすら塗りあげます。細いペンで広い面のすべてを、一度に塗りつぶすのは、ままならないことではありますが、生じる塗りムラを恐れず、ただひたすら幾重にも塗り重ね続けていきます。すると次第に単なる塗りムラであったものが、絵全体の印象を支えるような、ニュアンスとなって立ち現れるのですから不思議です。

 

すべての作品のご鑑賞は[こちら]から。