Room series(ルーム シリーズ)2017
技法:紙版画 / 用紙:シリウス / サイズ:297×420㎜ / エディション:モノタイプ
このシリーズは、語るのがどうも難しいのです。
例えば、明け方、ふっと目が覚めて、ベッドから抜け出し、ダイニングテーブルの上にある、飲み残しの水が入ったグラスに目がとまります。部屋を満たすのは、未だ夜半の名残感じる、紺青色(こんじょういろ)の空気。明かりをつけずに椅子にもたれ、体が目覚めるのを静かに待っていると、部屋の暗い光に目が慣れていき、目の前の無作為に置かれたグラスが美しい物語のように浮かび上がって見えてきます。いつもの生活の場にある、自分の昨夜の痕跡なのに、グッと心を掴まれる感覚があります。まるで他人事のような不思議な距離感が、心地よい戸惑いとなって、なにか気づきへと導いているようでもあります。確かに、テーブル上の情景は、単にまるで静物画のようだ、と語るだけでは割り切れない、何かがあるようなのですが、しかしこれを自覚するのが、とりわけ難しい…。そこで、しばらくのあいだ、生活のなかで、似たような感覚に見舞われたときの、自分を取り巻く状況と、そこで得た心理をあらためて思い返してみるようにしたのです。そして、ある時ふっと、ひとつのイメージに思い至ります。それは“自覚の隙間”です。しかし決して無自覚という意識の空白ではなく、あくまで自覚という日常生活を送る上で必要な、連綿とした意思の中に生じたブレス(息継ぎ)のようなものに近いかもしれません。降り注ぐ真昼の光に打たれながら、ゆっくりと階段を登るとき。普段は交通量の多い大通りが、何かの拍子に、ほんの一瞬だけ静まり返ったとき。食事中、大きなお皿の上に最後のひとくちが色鮮やかに残っているとき。この一瞬に、まるで古いオルゴールの音色を奏でる、パンチカードの穴のように、そう、程よい“自覚の隙間”から、ハッとするほど美しい一音だけが、不意に飛び込んでくるのです。そして次の瞬間には、日常の続きが再び巡りだし、それと向き合うに必要な意識も巡りだします。まるで何事も無かったかのように。ほんの一瞬だから、気付かないかもしれません。気付いたとしても、すぐに慣れてしまうかもしれません。しかし、たしかに言えることは、この程よい“自覚の隙間”さえあれば、いつもの自分が、いつもの暮らしのなかで、自分だけが知り得るの美の感慨に出会えそうだ、ということです。この作品は、架空の空間を紙版画という手法で描いたシリーズとなっております。床、壁、階段、窓、扉などを描くことが直接的な目的ではなく、空間を満たす、光や壁などの質感は、紙を版とすることによって生まれる、特有のかすれや濃淡で、空間に満ちる空気感を表現しております。そんな作品に込めた一つ一つが、鑑賞してくださる方々の内にある、“自覚の隙間”を通じて経験しているであろう、自分だけの音色を自覚できるきっかけとなれたなら、こんなに嬉しいことはありません。このシリーズはすべて、紙を版にすることで得られる風合いと引き換えに、版画の複製性と矛盾する、一枚しか得られない成果(モノタイプ)という、なんとも歯がゆいような、表現手段にたどり着いてしまっております。したがって制作実感が、“刷る”というよりは、“描く”に近く、どの作品も、この語りにくいある感慨を、文字通り、込めるように馬連で描いたものです。一見するとなにもないような、そんな部屋(Room)に満ちた、“なにか”が伝われば、嬉しい限りなのですが、このシリーズは、やっぱり語るのが難しいですね。
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また、掲載10作品中、3作品(#02、#06、#08)は、2018年2月3日~2月18日に青森県立美術館にて開催展示されました「AOMORIトリエンナーレ2017 Classical部門 棟方志功国際版画大賞」の入選作品となります。