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香りのランドスケープ

 いつからそうなのか、気がつけば、人生の傍にはいつもお茶があるように思います。

 

 朝、起き抜けにまずは一服。仕事の合間に、食事やおやつのお供に、就寝前のリラックスタイムに。お茶と名の付くものは、洋の東西とわず、朝昼晩いつでも何かは飲めるようにしております。誰かの人生の転機や節目にも、〝無茶〟が無いようにと、お茶と茶器をたむけにプレゼントするお節介も。

 

 さて、そんなお茶にまつわる、少しばかり昔の話です。諸事情あって、とにかくお金がなかった学生時代、ギリギリの生活下にあっても、味違いで、少しずつ買い揃えた紅茶を飲めば、どんな苦難の時(笑)でも何故かホッとできて、幸せだったことを思い出します。

 

 よく遊びに来ていた大学の友人(僕とは反対に、彼はかなりのお金持ち!でも、なぜか気が合う仲でした)が、お前の部屋は、狭いのにいつ来ても何も無いから、広いのか狭いのかわからないな!などと揶揄するのですが、小さな棚に並んだ色とりどりの茶缶をじっと見ては、今日はこの色のやつを飲ませてよ、と楽しそうにしておりました。

 酒でも酌み交わすべき場面でしょうが、なぜか紅茶。先輩であれ、後輩であれ、どんな立場の人が、何人来ようが、いつも紅茶で(紅茶しかないので…)もてなしたものです。

 

 月日が流れ、生活の環境が変わり、交友関係が緩やかに変化していっても、その時々に住んでいる街で、いつもなんとなく探しているのが、好みの紅茶が買えるお店でした。

 

 そんなある時、運命的な紅茶体験をします。

 

 いつものように近所を散策をしていると、住宅地の一角に小さな紅茶専門店を見つけたのです。そして、甘い紅茶の香りに誘われるように店内へ。目に飛び込んできた、店内の黒板ボードには《紅茶教室開催中》とあるではないですか!初めて入るお店でしたが、にこやかにこちらをみている、ご夫婦らしきお店のオーナーさんに、今から飛び込み参加もできますかと尋ねると、もちろんどうぞ!と言っていただき、さっそく奥の厨房へ案内されました。

 

 店内を見渡すと、茶葉のパッケージが種類ごとに整然と並び、優しいアイボリーを基調とした、控えめで上品なデザインが、ご夫婦のお人柄を想像させます。

 

 さて、通された厨房にはダイニングテーブルほどのスペースがあり、すでに数名の方が席についておりました。たまたま1席空いていたようで、運良くその席に僕が納まったというわけです。そして、ご主人が紅茶の淹れ方を丁寧に実践してくれます。すでに好きで飲んでいた紅茶ですが、長らく自己流で淹れていたものですから、教えていただく内容はすべてが新鮮です。

 そうこうしているうちに、ご主人が説明しながら淹れた紅茶が飲みごろになり、全員のティーカップに注がれました。端正な白いカップを覗き込むと、そこには今まで見たことがないような透明度と、やや緑がかった美しい金色の紅茶がゆれ、カップから立ち昇る湯気の香しさが、魅惑的な味をすでに予感させます。

 

 そして、いよいよ運命のひとくち。

 

 「・・・・!」

 

 口の中に広がる香りは、湯気の中に感じたそれとは、比べようもなく鮮明で、あまりにも豊かな香りに驚き、勢い余ってゴクリと飲み干してしまいました。紅茶不在の口の中、残り香だけであるにも関わらず、経験したことのないインパクトに、しばしコメントができず、カップの中の揺れる紅茶を、ただ見つめておりました。

 

 それまで飲んでいた紅茶は、大手メーカーのフレーバードティーで、その時の気分に合わせて選ぶ楽しさも含めて、自分なりの味わい方で満足していたのですが、このひとくちは、そんな経験を大きく何段階も更新するものでした。この時いただいた茶葉はダージリンのファーストフラッシュ。特定の茶園からオーナーさんが独自に買い付けたもので、その時期の旬の紅茶つまりクオリティーシーズンのものをストレートで頂いた、初めての体験でした。

 

 若草を思わせる、フレッシュで伸びやかな香りと、抑制が効いたすぼまったような苦味は、味全体にほどよいキレを与え、千歳飴の包み紙から漂うような上品なほの甘さがとても印象的です。また、口に含んだ直後から始まる、香りのうつろいを、たち消えていくその最後まで、美しいものとして感じさせてくれ、飲み干してもなお、鼻の奥から喉にかけてに感じる、陽だまりのような余韻が、次のひと口を促しているようでもあります。

 

 生まれて初めての味わいは、その従属する感動が大きいほど、ナレーションに尽くす言葉がファンタジックになるのですが(笑)、経験が乏しい当時の僕は、風抜ける異国の草原に、あの、たったひと口で、放り出されたような驚きに、ただただ戸惑うばかりでした。それはまさに、香りが一瞬で連れて行ってくれる、想像のランドスケープ。香りに身を委ねる、たったそれだけのことなのに、豊かで複雑なイメージを、実に具体的に得られることに、出会って数分、初対面の相手を前に喜びが隠せませんでした。そして、それ以前は経験(お金も…)が無いながらも、あちこち手探りのように紅茶を飲んでいたのは、香りが持つこの底知れない“連想と連鎖の力”を漠然と予見していたからだ、ということに気がつき、数年来のもやっとしたものが、晴れるように腑に落ちた出来事だったのです。

 

 その日を境に、僕の小さな棚の中のラインナップはガラリと変わるわけですが、さらに月日がめぐり、結婚後、妻を巻き込んだ茶飲み人生となった今、紅茶によって引き出された香りへの経験が、紅茶に限らず、コーヒー、日本茶、さらには食全般の味わいを楽しむための、自分なりの理解の柱となったのです。そのことは、普段の生活や仕事、旅先で出会った“美味しい”との出会いを、言葉、フォルム、色彩など自分の中の想像力のエッセンスを巻き込みながら、よりいっそう豊かな体験にしてくれています。

 

 毎朝、妻が淹れてくれる一杯のコーヒー。その香りを胸いっぱいに吸い込んだ後、「あぁ…文化の香りがする」と呟くと、いつも嬉しそうに同意してくれるのも、そんな経験があったからかもしれません。

 

(紅茶屋主人Kご夫妻に感謝を込めて)