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愉快の種

 僕は果物全般が大好きで、季節ごとに店先に並ぶ旬の果物を、妻の買い物に付いて行っては、横からねだります。

 

 いまどきバナナは季節を問わず、店頭でのレギュラーメンバーですから、いつもそこあるとなると、つい旬の期間限定メンバーを優先しがちになります。それでも、バナナは大好きな果物ベスト3に入るので、思い出したようにドサっと購入することもしばしば。

 

 ご存知の通り、バナナはしばらく寝かせておくと甘みが増すのですが、そのシグナルとして、皮の表面に黒い点々が出てきます。したがって、バナナ好きとしては、購入の翌日から、愛しの黒い点々を待ちわびる日々が始まるわけでして、朝、起き抜けに、妻にまだ早いわよと、たしなめられつつも、バナナの“覚醒”を確認するのが、しばらくの日課となります。

 

 さて、がらりと話がかわって、普段の暮らしの中には、心の虫眼鏡でジッと観察してみると、クスっと笑ってしまうような、実に多くの“愉快の種”が落ちていることに気がつきます。

 

 しかもそのほとんどが、羞恥心や執着心、緊張やタブーといった、人生におけるどうしようないほどリアルな状況の中に紛れていることが多く、探そうと思ったなら、よくよく目を凝らす必要があります。

 

 例えば、ある早朝のこと、仕事上で思わぬ事態にみまわれ、取引先へ緊急のメールを打つ際に、「成澤(なりさわ)ですが…」と書き出したいところを、急ぐあまり「馴れ初め(なれそめ)ですが…」と打ち間違い、こんなに切迫した状況下で、朝から随分とプライベートな扉を開けそうになったことに、焦ってデリートキーを連打してみたり。

 

 別のあるお昼どき、懐石料理店で初めての取引先の方と、顔合わせも兼ねた昼食会でのこと。綺麗な着物姿の店員さんが、テーブルに「ご飯はおかわり自由でございますので」と丁寧にご案内くださり立ち去った、ほんの5秒後に、違う通りすがりの店員さんが、「ご飯はおかわり自由ですよ」と。あ、ありがとうございますと(テーブルの誰もが、内心もうわかりましたよ、という気持ちを込めた)やや硬い笑顔で見送った、その直後、ハツラツとした店員さんが、屈託の無い笑顔で「みなさん! ご飯は…」と、なったときの困惑と、笑顔が消えたテーブルの、ちょっと妙な雰囲気などは、人知れず、なぜか原初的な笑いの真髄を見たようにさえ思うわけです。

 

 そして話はバナナにもどります。

 

 朝、目が覚めると、相変わらずバナナの様子をうかがっては、早く甘くなっておくれよ…と、拝むような心持ちで、来る日も来る日も見つめ続けておりました。そんなある朝、とうとうその時がきたのです!

 

 待ちに待ったあの甘~いシグナル、そう、愛しの黒い点々が浮き出て来たのです! ウキウキしながら、さぁてどれから食べようかと目を細めながら吟味していると、

 「……?」

 そこには、可愛らしいバナナの顔。しかも疲れを隠したような、ちょっぴり大人びた笑みが…。文字にすると、きっと“苦笑”といったところでしょうか。

 こんなかたちで“覚醒”したバナナの、なんとも言えない微妙な表情を見つけ、その瞬間、しつこく迫った自分の愛の重たさにハッと気がつき、ちょっぴり恥ずかしくなりました。