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まじない師

 とある街でのお話です。

 

 そこは個性的でオシャレなお店が建ち並ぶ人気の街で、メインストリートとなる長いアーケードは、平日から多くの人で賑い、土日ともなれば家族連れも加わり、通勤時の駅のような混雑をみせます。

 

 そんなアーケードをウインドウショッピングする人々は、思いっきりはしゃぎたい気持ちがあっても、すれ違う人に気をつけないといけませんから、少々ストレスフルな表情の時も。

 

 しかし、ある店先を通ると、決まってそんな表情に明らかな変化が表れます。予期せぬ嬉しいことがあったときのように、眉毛がちょっと上がり、そして軽く微笑む様子からは、リラックスしていることが伝わっています。歩む速度が緩まり、メインストリートの流れからドロップアウト。用もないのにそのお店をちょっと覗いてみようか、という気になるのですから不思議です。

 

 何が人々の気持ちをほぐしてくれるのでしょうか。

 

 それは炒った茶葉の香り、つまりほうじ茶を作るときに立ち昇る、甘く香ばしい、どこか懐かしさをくすぐる、あの香りです。

 

 人々を魅了するこの香りは、店の奥から数軒先まで漂っています。老いも若きも男も女も、流行りの街を、流行りの格好で、ひしめき合いながらも闊歩しようとするからか、ちょっと肩に力が入ったよう感じになります。都会ならではのこんな気分を知らず知らずのうちに抱える人々が、店先から漂うこの香りを吸い込むと、まるで“まじない”でもかけられたように、ふわりと優しい表情になるのですから不思議です。

 

 香りに誘われて、店内をウロウロと徘徊していると、目が会う見ず知らずの人からも“あなたも、そうなんですね”と、瞳の奥に平和的な何かを感じる(ような気がする)わけです。

 

 こんな経験をしたからか、いつしか我が家では、少し気分転換をしたいときや、リラックスをしたいときには、茶葉を炒って香りを楽しむという習慣ができました。

 

 小さなミルクパン(もう何年も使って黒焦げになってしまった…)で、茶葉を大さじ1杯分ほど火にかけ、から炒りします。

 

 弱火で焦らずじっくりと火にかけるのですが、イメージとしては、茶葉の甘くフレッシュな香りの背中を、弱火の手のひらで少しずつ茶葉から押し出してあげるような感覚で。炒ろうとすると鍋を振るうようにしがちですが、決して荒々しく揺すってはダメです。煙が立つ二歩手前ほどで、火から降ろし、いよいよ優しく振るってあげると、まるで金木犀のような甘い香りが茶葉から立ち上り、同時にあの懐かしいような香ばしさが、じんわりと漂ってきます。油断するとすぐに焦げてしまいますので、目が離せません。でも加減さえ心得れば、そんな甘く瑞々しいお花のような香りと、懐かしい焚き火のような香りの、“立ちどころ”のような瞬間が、つかめるようになります。

 

 ですから、いつも茶葉を炒るときは真剣勝負。頃合いをみて火から外し、煤まみれの、香りたつミルクパンを、手慣れた風に振るい続けながら、足早に移動しては、部屋中にこの香り置いて回ります。そう、あの“まじない”でもかけるように。

 

 こぼさぬように真剣に…

 でも良い香りを一身に浴びて幸せそうな…

 香りが消えないうちにと、やはり真剣な表情で…。

 

 知らぬうちに香りの感想をゴニョゴニョと口にしているらしく、黒焦げたミルクパンを揺すりながら、イソイソと各部屋をめぐる姿から、我が家では怪しいミルクパンのまじない師と呼ばれてしまうわけです。