· 

音色

 先日、風邪で体調を崩し、数日の静養を余儀なくされたのですが、ベッドの中から白い天井を見上げ続けた、数日のあいだで気がついたことがありました。

 

 職場、アトリエ、生活の場が一緒なものですから、妻が忙しく動いている気配が、様々な音となって伝わってくるわけです。

 

 紙を捲る、イスを引く、電話に出る。

 宅急便を受け取る、荷物を開封する、お礼のメールを打つ。

 鍋に火をかける、食事をよそう、忍び足でこちらの様子を窺う…。

 

 彼女はそんな生活音を病人相手に申し訳ながるのですが、こちらとしては、どうかお気になさらずに…と。

 

 あらためて気がついたことが何かと言うと、普段の生活で知らず知らずのうちにたてている音、このいつもの日常に満ちる様々な飾らない音は、何かのことで悩んだり、些細なことで煩ったりしたような、だれもが抱え得るネガティブな心情を、ときに癒し、安らげてくれるということです。

 

 ほんの少しだけ離れた場所からいつものように、食器を洗う音が聞こえたり、アイロンをかける音が聞こえてくると、なぜか急にホッとするのです。考えが煮詰まったり、思うようにいかない時、つい目先や手元ばかりに注意がいきがちなのですが、そんな凝り固まった意識を、ふわりと和らげてくれるのが、そんな生活の音なのです。

 

 こんな気持ちにさせてくれる音は、目を閉じてじっと耳を傾けたくなるものですから、単なる生活音とはもう呼べず、心に訴える“音色(ねいろ)”となっているのでしょうね。

 

 さて、じっと見上げ続けた、白い天井。はじめは退屈なだけの寡黙な相棒でしたが、いつの間にか、心地よい身近な音色が、日常の営みの穏やかな情景をそこに映し出し、心身の安らぎを得たのでした。そしてそのことは、アート作品を制作する際の心得として、図らずももう一つの大切なことを教えてくれました。

 

 それは、作品を見てくださる方にとって、穏やかな心持ちになれるような音色が、微かにでもいいから聴こえてくるような、そんな作品の制作を目指そうということ。どんなに気に入ってもらえたとしても、寡黙な相棒のままでは、一週間で飽きてしまいますものね。

 

 さて、はじめてのブログとなりますが、記念すべき1回目なのに病床のお話しでして恐縮です。作り手の性(さが)でしょうか、病に伏しても、食事をしていても、気になることがあれば、絵でも言葉でも、なんでもかんでも描き留める習慣がございまして、スケッチブックがわりに使い始めた、小さな小さなメモ帳が手放せずにおります。携帯電話を忘れても、これを忘れるとどうにも不安でしょうがないような、気がつけば習慣を超えて、ほとんど習性になってしまったような有様です。

 

 あまりにも主観的で独りよがりな内容ばかりでして、重ねて恐縮いたしますが、それでもどなたかの嗜好になり得るならば幸いと、不定期ではございますが、作品制作の前後左右を、言葉で「Sketch」していきたいと思っております。エッセイと呼ぶには拙い言葉が踊りますが、そこはどうか、メモ帳を覗き見たゆえと、ご容赦願えましたら幸いです。